HISTORY

1965年

関東学院吹奏楽部と日本大学高等学校吹奏楽部の合同バンドにて、第16回NHK紅白歌合戦出演。

1966年

前年のNHK紅白歌合戦出演をきっかけとして、ノーピストンビューグルを使用した日本で初めての一般バンドとして発足。

横浜・紅葉坂・神奈川県立音楽堂でステージドリルを初演。

1967年

1ピストンビューグルを導入(B♭管)

1月10日 横浜文化体育館にて第1回発表会として、第1回パレードバンドフェスティバルを自主開催。

6月 パレードバンドアソシエイション(現:日本マーチングバンド・バトントワーリング協会)発足に際して実務レベルを掌握。

8月 パレードバンドアソシエイション主催の第1回夏期講習会にて主要メンバーが指導講師を務める。

12月17日 横浜文化体育館にて第2回発表会を兼ねて、第2回パレードバンドフェスティバル(現:マーチングバンド関東大会がその後回数を継承、マーチングバンド全国大会の基)をパレードバンドアソシエイションが初めて主催する。

1968年

1ピストン1ロータリービューグルを導入(B♭管)。

英国近衛兵を模した、現在の赤いユニフォームに変更。

1970年

2月 現在のヘルメットに変更。

4月1日〜5日 7月8日〜15日 大阪万国博覧会水上ステージに春夏2回出演(メロディーラインに本格的にトランペットを導入)。

8月6日〜10日 日本 ボーイスカウト連盟の要請にて第5回日本ジャンボリー(於:朝霧高原)に出演。

1971年

1月9日公開、東宝制作・若大将シリーズ第17弾若大将対青大将鈴鹿サーキットレース前シーンに出演。 

8月1日〜10日 ボーイスカウト第13回世界ジャンボリー(於:朝霧高原)で10日間のテント生活を体験しながら毎朝晩の掲揚パレード出演、及びロサンゼルスのBS379隊のD&Bと共演(於:静岡駿府会館)。

1972年

日本ボーイスカウト連盟創設50周年記念式典(於 明治神宮参集殿)にて、昭和天皇ご臨席の下でファンファーレを演奏。

第23回NHK紅白歌合戦オープニングファンファーレ出演。

1973年

今までのフェスティバルとは別に第1回マーチングバンド全国大会が開催される。今までのフェスティバルは関東大会となる。

1975年

アメリカツアーを企画し、竹宮帝次団長(元全日本連盟副会長)のもと、ボストンで開催されたナショナルCYO(現国立CYO)及びフィラデルフィアで開催されたDCIファイナルのエキジビジョンに日本の団体では初めての参加(バンド愛称を“RISING SUN”とする)。

1978年

G管ビューグルの導入を検討したが、将来性を考えB♭管3ピストンのマーチングバンドに変更。

1979年

マーチングバンド全国大会の名称が第7回マーチングバンド・バトントワーリング全国大会と現在の名称になった。

1985年

筑波博に出演。

1988年

第14回全国大会において、ウインドアンサンブル賞を受賞。

1989年

横浜博に出演(延べ10回以上)。

1997年

活動方針を変更、コンテスト参加を自粛する。

1998年

かながわ・ゆめ国体のイベントであるマーチングバンド世界大会でファンファーレ出演。

2001年

第27回全国大会にて全日本連盟副会長・岩波信平の追悼演技披露。

2002年

マーチングバンド神奈川県大会ファンファーレ出演。湘南フェスティバル出演。

2003年

マーチングバンド神奈川県大会ファンファーレ出演。

2004年

マーチングバンド神奈川県大会ファンファーレ出演。湘南フェスティバル出演。

活動休止。

2012年

日本マーチングバンド・バトントワーリング協会主催の第40回記念マーチングバンド・カラーガード全国大会 記念バンドへ初期メンバーなどが協力参加。

2014年

日本マーチングバンド協会主催「第13回マーチングステージ全国大会」に出演する。前述の40周年記念バンドとして参加したメンバーの中で、「再度マーチングにチャレンジしたい!」と手を上げた40歳以上・初期メンバーを軸に若手を加えた総勢24名で再結成。

2015年

9月 日本マーチングバンド・バトントワーリング協会神奈川県連盟主催の第35回マーチングバンド神奈川県大会 岩波信平杯 故:石原基国氏 授賞式に演奏出演。

11月 日本マーチングバンド・バトントワーリング協会関東支部主催の第50回記念マーチングバンド関東大会に 第1回大会を自主開催した事で ゲスト出演。